9月11日。この日はニューヨークにとって一年の中でも一番大切な日。2001年9月11日
同時多発テロによって、世界貿易センタービルで2,753名もの人の命が一瞬にして奪われた。
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2001年9月11日ニューヨークで何が起きたのか?
当時、世界経済の中心地であるニューヨークのマンハッタンは、忙しい通勤時間真っただ中の8:46amの事だった。飛行機が第1ワールドトレードセンタービル(世界貿易センタービル北棟)に衝突したのだ。
偶然の撮影現場だった
この衝撃の瞬間をとらえた映像は世界中でも話題になった。フランス生まれアメリカ育ちのノーデット兄弟は当時ニューヨークの消防士のドキュメンタリー映像を作成していた。2001年9月11日の朝、彼らは、FDNY(ニューヨーク市消防局)の消防士たちと共にロウアーマンハッタンのガス漏れ調査に同行して撮影していた途中だった。
まさにその瞬間、1度目の衝突が起き、消防士の撮影にまわしていたカメラが偶然にも衝突の瞬間をとらえたのだった。
衝撃映像
※衝撃的な映像。しかしニューヨークを知るためにはこの現実を知る必要があると思って動画を紹介。
動画の中では衝突の直後ニューヨーカー達の混乱している様子を音声でも理解することができる。そして、まさかこの17分後の9:03am、第2ワールドトレードセンタービル(世界貿易センタービル南棟)にもう一機衝突が起こるなんて、誰が予想していただろうか。
人種は関係ない
多くの人が心を痛めた。この映像を見ると当時の感情も蘇って涙が止まらなくなる。しかしこれが2001年9月11日にニューヨークで起こった現実。そして私は今その街に住んで居る。自分の住んで居る場所の歴史は知っておかなけらばならないと思う。今現在も隣に居るニューヨーカー達の心の傷は癒えていないのだから。
日系建築家ミノル・ヤマサキ氏が設計したワールドトレードセンタービル
日系二世アメリカ人建築家ミノル・ヤマサキ氏が設計したワールドトレードセンタービルは、彼の日本への想いもビルに込められていたものだと思う。そう思うと、当時私は日本に居たが、日本から地球の反対側のニューヨークの出来事とはいえ、他人事とは思えない。
多くの映画やテレビドラマに登場して、世界中の人たちに親しまれていたワールドトレードセンター(ツインタワー)を失った悲しみは、人種、国籍を問わず誰もが持つ感情だろう。
以前のワールドトレードセンタービルは、大地から樹木が伸びていくような壁のデザインんが特徴的だった。
現在のニューヨークの状況は?
現在、ニューヨークでは崩壊したワールドトレードセンター跡地は『グラウンドゼロ』という名で呼ばれ、犠牲になった人々を追悼する場所となっている。グラウンドゼロには犠牲者一人ひとりの名前が刻まれた大きなモニュメントが2つあり、水が滝のように流れている。
遺族の想い
毎年9月11日近くになると多くの遺族や関係者が来て、モニュメントの亡くなった方の名前の所に献花していく。また、毎年9月11日にはグラウンドゼロで式典が行われる。アメリカ国内でテレビ中継され、式典では犠牲になった方々一人ひとりの名前が読み上げられる。一番大切なことは忘れないこと。そして2度と同じ悲しみを繰り返さないこと。
ニューヨークは9月11日の夜になるとグラウンドゼロから2本の光が天に向かって伸びる。これも追悼の儀式。
今後のニューヨーク、ワールドトレードセンター
2014年11月3日に開業したワールドトレードセンタービルはニューヨークでというか西半球で一番の高さを誇るビル(世界で6番目)。テロに屈せず、今後の強いニューヨークを創っていこうとするパワーを感じる。世界経済の中心になっていたワールドトレードセンターで働いていた優秀な多くの人々が犠牲になってしまったことは、ニューヨークにとっても世界にとっても大きな痛手であり、悲しみは深い。
9月11日に想う。自分にできること
忘れないこと。
犠牲者の命を無駄にしない為にも、残された私たちにできることをしなければならないのが今後の課題。「私一人なんかに何ができるだろうか?」自分の小ささ、無力さにもどかしさを感じながらも「きっと何かできる!」と信じる強い志を持って明るい未来を創っていこうと思う。
NYのロ―ワ―マンハッタンのツインタワー跡地には「NY メモリアルミュージアム」がある。NYに訪れたら実際の現場に是非立ち寄ってみてほしい。
犠牲者の方のご冥福をお祈り申し上げます。